これは、The Pipe をご覧くださったMさんとKさんが出資してくださった基金で、女子の高等教育を支援するものです。
大学への進学を志していても、女の子の授業料を出してくれる親はそう多くはいません。ネパールは男尊女卑の激しい国で、実は女性の平均寿命が男性の平均寿命を超すのも世界で最も遅かったくらいなのです。それに、授業料は下手をすると農民1人の年収に近かったりします。
こんな国だからこそ、これから女性がもっともっと社会の前面に出て行かなければという、バジさんと私達の気持ちをご理解頂いてのご寄付でした。バジさんにとっても初めての女子高等教育基金で、運営の方法に検討課題があって始めるまでに時間がかかりましたが、今年からきちんと動き出しました。
その奨学生4人にタンセンに来て貰うことになっていましたが、3人は来られず、ビンドゥ・アチャーヤさんだけになってしまいました。ネパールで連絡をきちんとするのはなかなか難しいところがあるので、仕方ないですかね。残念ですが....
まあ、彼女らが卒業するまでには4年はありますから、そのうちに会えるでしょう。
実家はランプールといってタンセンからジープで4時間半くらいの場所です。学校に通うために、お友達と一緒にタンセンにアパートを借りて暮らしているそうです。 お金がかかるので、ご両親や知り合いがタンセンに来るときには、食べ物なんかを持ってきてくれるそうです。
写真を撮るとき、やっぱりにらもうとするから、「笑わないと、くすぐるよ。」と言ったらやっと笑顔が出ました。私の家族写真を見て、ビビの説明を聞いて、自分のお父さんと同じような仕事だと分かったら少し親近感がわいたようで、表情が柔らかくなりました。
彼女のお父さんは Ponri といって、お坊さん。お寺は持っていないけれど、葬儀を司る仕事をしているのです。
県都であるタンセンには裕福な家庭も多く、ボーディング・スクールといって、英語で授業を行う私学に通わせる家庭が多くなっています。当然、公立の学校に来る生徒が少なくなり、公立学校が危機を迎えました。
公立といっても、政府や県から運営に関する補助金が出るわけでもなく、生徒の支払う授業料が学校を運営するための資金だからです。生徒が集まらなければ、学校は廃校になってしまうのです。
そこで、この学校ではITの専門学校までも持つ公立学校として再生しようと決めました。
パルパの田舎からITを担う人材を輩出しようというのです。
実現すれば、他に類を見ない、地方都市の学校の1つの見本になるでしょう。
1つの大きな夢です。
しかし、ITの授業をきちんと教えてくれる先生を呼ぶには高額の給料が必要で、生徒の数が集まるまでは、とても支払えそうもありません。きちんと生徒の数が増えれば、まかなえるという試算はできるのですが....
ということで、D.ZEN Japan は運営が軌道に乗るまでの先生のお給料2年分とコンピューター教室の備品を支援することに決めました。決めたけれども、お金はまだありません。
先生のお給料やコンピューターや机や椅子、本棚などで、100万円以上はかかるはずなのです。
そこで、この「夢」にお金を出してくださる方、大募集です!!!
グドゥワコーラ村のナワドゥルガ小学校です。
下はナワドゥルガ小学校のビフォー・アフターです。
左が元の状態。吹きっさらしで、横殴りの雨はとても防げそうもない教室で勉強していたので支援しました。
右が今の状態。竹と藁の校舎は取り払われて、広い運動場ができました。山間部ですから、平らな土地はなかなか確保できないのです。新校舎の上も子ども達の遊び場や集会場になっています。
本当は私とビビだけが行って、その後の様子を見てお土産を置いてくる予定でしたが、校長先生や運営委員長さんから、是非バジさんにも来て貰いたいと連絡があったようで、バジさんも同行してくれました。
行ってみると、他の学校の引き渡し式ほどに立派な式をやってくれました。
こちらもお土産を持って行きましたが、この学校には D.ZEN Japan でジョラ基金というものを設置してあり、当日、生徒全員への学用品の配布が行われました。バジさんとD.ZEN Japanが来るなら、その時に生徒達に配布をしてあげたいとの、校長先生のお気持ちだったようです。
ジョラ基金は、特に貧しい家庭への支援が主な目的ですが、何人の生徒、どの生徒に給付するかどれだけの額を支給するかは、校長先生にお任せしています。ここの校長先生は、生徒全員にノートを配布する額だけは奨学生に渡すお金からはずしているそうです。
今回は、私がチョコを渡す係になりました。
この学校の大きな子ども達は、引き渡し式の時に食べていますから、2回目です。
この村のグドゥワコーラという名前は、「聖者の川」という意味で、聖者がここで悟りを開いたことにちなんでつけられたのだそうです。ネパールで3本だけしかない、北へ向かって流れる川の源流がこの村にあるのです。
今回は、私の寺の龍神様のデザイン「観音龍神」の色紙を学校に飾って貰うことにしました。龍神様は水の神様で、お釈迦様がお生まれになったときに、真っ先に駆けつけて、甘露の雨を降らせた方です。4月8日にお釈迦様に甘茶をかけるのは、この出来事の再現なんですね。
その龍神様の姿が私の寺のご本尊の観音様のサンスクリット文字の形で表現されています。
「夢の話を憶えていますか?」
と言ったら、おばあちゃん達が一斉に、子ども達よりも大きくウンウンと。
と言っても、ネパールのウンウンは首を縦でなく横に振るので、一瞬「え~、どうだっけ?」と言われたように思いますが。(笑)
私の娘が「私は物はなんにもあげられないけど、みなさんに愛をあげま~す!」って言ったのも、みんな憶えていてくれました。その時、後からおばあちゃん達が何人も「私の愛もあんたにあげるよ!」って娘の所に来てくれたのが懐かしいです。
その時の引き渡し式で、私は自作特注のお守り「夢守り」を生徒全員に分けました。
あれはもうダメになってしまっただろうから、教室に飾れるように夢のパネルを持ってきたよと言ったら、校長先生が「ダメになんかなっていません。どの子もみんな、とっても大事に取っておいてあります。」って。校長先生が力を込めて言ってくれたので、なんかちょっとウルッときましたね。
この方が校長先生です。
貧しいけれど大切な自分の村と教育への熱い想いを感じさせてくれる方です。
しかし、ネパールでもこの村でも時代の流れは速く、生活が苦しくて夫が海外への出稼ぎに出る家庭が増えたそうです。するとその妻と子供達は仕送りを頼りに町へ出て暮らすようになり、村から子ども達が減っていってしまったと言うのです。
それを語る彼女の顔に、切ない祈りを見た気がしました。
「来年は14人も新入生があるんですよ。」と言った時の彼女の笑顔も私の心に刻まれました。
この学校では、子ども達が歌うOKバジ、D.ZEN Japanに感謝する歌に合わせて、子ども達が踊るという、初めて出会うパフォーマンスを見せて貰いました。校長先生のお人柄ですね。それを私達に見せてくれようとする気持ちが....
しかも、踊りを披露してくれた小さな女の子と男の子は、時々笑顔さえ見せながら踊ってくれたんです。
ネパールの人達の踊りで、こんな素敵な笑顔を見たのはこの時が初めてでした。
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