引き渡し式に向かう途中でヒマラヤが見えました |
が、しかし、実際には政府の要人達が、自分の所を通させて私腹を肥やそうとしているのはネパールの人々はもちろん、外国人ボランティアも分かっていました。地方の議員は、国ではなく地方に任せろと言いはじめていました。政治に携わる多くの人が自分のポッケに少しでも入れようとするという、ネパールのいつものパターンでした。
パンク修理中の私達のジープ |
山間部のお店はこんな感じです |
そこで、生活に直結する水場の支援をすることにしました。震災の義援金として頂いたご寄付の中で特に大きな金額だった咲き織順子様には別途でひとつの水場を作らせて頂きました。子ども達の水場です。
大きな学校の水場が老朽化のために壊れたと言うことで、水場を作り替えました。地震で壊れたから援助したのではないという建前です。
高学年の生徒までいる大きな学校では、子ども達が飲むための水を水場から水瓶に汲んできたのではとうてい間に合いません。ですから、地震で水場が壊れたのは大変困る事だったのです。
先生方が毎日やっていた水場からの水汲みが、咲き織様のおかげでなくなりました。先生達もホッとしたようでした。
山間部の小さな学校とは違い、先生方のセレモニー用のここぞの服も、何と都会的なことか。なかなかカッコイイですよね。まあ、特にこの先生がお洒落だったのですが。
きちんとしたお祝いの言葉から始まって次は「幸せなら手をたたこう」の歌でした。動作をつけながら歌う歌はネパールにはないようで、大受けです。
盛り上がったところで今度はボケ防止の運動?右手で耳をつかんで左手で鼻を。次は右手で鼻をつかんで左手であごを。これが結構難しいんですよね。
生徒も大人達も大喜び(⌒▽⌒)
盛り上がったところで今度はボケ防止の運動?右手で耳をつかんで左手で鼻を。次は右手で鼻をつかんで左手であごを。これが結構難しいんですよね。
生徒も大人達も大喜び(⌒▽⌒)
東京の高校生達が集めてくれた中古のバレーボールも子ども達にあげました。
最初はおもちゃを買って送って子ども達を笑顔にしたいと、自分たちの想いを伝えてきた彼らですが、お金じゃなくて足で中古のバレーボールを調達してくれるよう頼むと、彼らは自分たちの足で21個ものバレーボールを集めてくれたのです。
ひとつは空気を入れていって見せると、子ども達の目が輝きます。欲しい?って聞くと、みんな「ウンウン!」。まあ、ネパールのウンウンは頭を左右に振るので、欲しそうな顔でいらないっていっているみたいですが。(⌒▽⌒)
最初はおもちゃを買って送って子ども達を笑顔にしたいと、自分たちの想いを伝えてきた彼らですが、お金じゃなくて足で中古のバレーボールを調達してくれるよう頼むと、彼らは自分たちの足で21個ものバレーボールを集めてくれたのです。
ひとつは空気を入れていって見せると、子ども達の目が輝きます。欲しい?って聞くと、みんな「ウンウン!」。まあ、ネパールのウンウンは頭を左右に振るので、欲しそうな顔でいらないっていっているみたいですが。(⌒▽⌒)
ボールを生徒達の方に投げると、女の子達の歓声があがります。高学年の男子生徒達が模範演技をしてくれます。まあ、思春期の子達ですから、やる気なさそうにやるのですが、でもやっぱり嬉しそうな顔はしています。
最後に「もっと欲しい?」って聞くと、これまた女の子達の「ウンウン!」「じゃああげるよ。」って、空気の入っていないボール4つと空気入れを出してあげると、おおきな歓声と拍手があがりました。やっぱりボールは嬉しいんですね。
ネパールの子ども達にはおもちゃという物がありません。遊びが出来るもの、特にひとつあればみんなで楽しめる物はかけがえのない宝物になるんですね。
最後に「もっと欲しい?」って聞くと、これまた女の子達の「ウンウン!」「じゃああげるよ。」って、空気の入っていないボール4つと空気入れを出してあげると、おおきな歓声と拍手があがりました。やっぱりボールは嬉しいんですね。
ネパールの子ども達にはおもちゃという物がありません。遊びが出来るもの、特にひとつあればみんなで楽しめる物はかけがえのない宝物になるんですね。
引き渡し式を終えて、この日の宿泊地へ向かいます。
バジさんが打合せのために、途中の小さな村に寄りました。特にすることのない私は、村をブラブラ。村の日常を見て回りました。水牛を小屋で飼い、山羊を外で飼うのはどこでも見る風景でしょうか。この村は谷間にある平地の多い村でした。
夕暮れ時で、女性達が畑から帰ってきました。
ネパールの女性達は働き者です。重い荷物を籠に入れ、頭に掛けたベルトで重さを支えて運びます。
休日の子ども達は、外国人だと分かる私が珍しいらしく、近寄ってきました。写真を撮ろうか?と身振りで示すと、女の子二人がウンウンと言ってこちらを向きます。神様の祠の前で記念写真です。
この祠には、どんな神様がいるのかはっきり聞くことはできませんでしたが、多分先祖霊のような土地神様なのではないかと思いました。この土地を守るためにいらっしゃるようでした。
ジャージ姿の若い女性も通りかかりました。籠は袋に変わっていましたが、やはり頭で支えることには変わりないようです。
そして、この日の宿、OKセンターに着きました。
この高台からの景色を見ると、パルパに着たなあと実感します。
OKセンターから見た景色です。
この日は満月でした。
最初に来た頃とは違い、パルパにも随分夜の明かりがつくようになりました。
太陽光で発電して蓄電した電気は使わないと意味がないので、LEDを使って常夜灯として付けている家が多いのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿