2018年5月29日火曜日

ネパール地震の震源地 ゴルカの人々 2017

 先生方

山の学校の先生方です。
この日は丁度試験期間で午後は授業がありませんでした。
液晶モニターのパソコンがありました。パルパでは見かけたことがありません。










学校の前の文房具屋さんのおばちゃんです。風格ありますねえ。




山の学校の放課後の風景です。



女性達




















山の上で、女性のための集会場兼簡易ヘルスポストを建てたいという要望があり、いくつかの村の長老達と女性達が集まっていました。
立っている方が司会で会議が進められていました。右下に写っている方が発起人です。

いくつかの村で共同の建物を作るので、どこの村が土地を提供してくれるかを決めて貰う場面だと言うことでした。


できたヘルスポストには私がボランティで常駐するからと、発起人の方が言っておられました。なかなか毅然とした態度で話される彼女に村の長老達は押され気味な感じです。


パルパには、こういった女性はなかなか見当たらないかもしれません。ゴルカはパルパに比べ経済的にも文化的にも街に近い気がしました。





BBの家族



BBの家族です。
とは言っても、右側の二人は弟夫婦の子供たちなのですが、彼らはみんな自分たちの子供のように扱います。この間、カトマンズに遊びに来ていた時も、一番下の子以外は連れてきていました。新しくできた航空公園で写した写真には女の子たち二人も楽しそうに映っていました。

奥さんは私学の小中学校の先生です。英語で授業を教えるボーディングスクールと呼ばれる学校で教鞭をとっていますが、その学校はBBと仲間たちで作ったものだそうです。その関係で奥さんがその学校で働いているということらしいです。




結婚式の人々

 BBの奥さんの実家で甥っ子が結婚式をあげました。

以前タンセンの町で見かけた結婚式では、新婦が怒っているかのように無表情で、明らかに新郎を嫌っているのがわかるしぐさをしていたのが思い出されます。親同士が決める結婚で不本意だったのでしょう。周りはそれに気づかないかのように振舞っていたのが印象に残っています。

でも、この夫婦は幸せそうで良かった。

右は新郎のお母さん。下の写真ではタバコを吸っていますね。この方もなかなか風格が....
チェトリの人たちはブラフマンの次にカーストも高いので、自信をもって行動する女性が多いのかもしれません。

ここの人たちはマガール族ではありませんが、踊りはやはり好きなようです。でもやはりパルパの人たちよりも裕福なようで、着ている衣装が違いますね。 




老人施設自費設置

この方は、BBの村の方です。ご自身の土地に建物を建てて、身寄りのない老人たちの面倒を見てくれていたのだそうです。

ところが震災で建物が危険な状態になり、老人たちを住まわせてやることができなくなったのです。なんとか身寄りを探して老人たち行き場を作ったとのことでしたが、ネパールでは身寄りも収入もない老人たちが増えているようです。




Hey,Japan! It's RAKSHI TIME!

RAKSHI(ロキシー)というのはひえの焼酎のことです。米やトウモロコシが入ることもあって、味は作り手によって変わります。がしかし、醸造用アルコールなどというものは全く入らない本物の焼酎です。日本のような酒税法がないネパールでは家庭で酒造りができるのです。

これが美味い!


BBの幼なじみの友達がみんな集まると宴会の開始です。
その時の掛け声が、Hey,Japan! It's RAKSHI TIME!
ネパール語の会話に入れない私がネットサーフィン(古!)していると、この掛け声で教えてくれます。

メガネの彼の店が地震で全壊してしまったので、かれは自分で新しい店を鉄筋コンクリートで作り直しました。まだ、店は始められていないのですが、明るい電気もつくしWi-Fiも通って(凄い!)場所も広いので、ここで宴会なのです。私の初日の差し入れが、海の魚(タラとイカの燻製)だったので、大歓迎されたんですよね。海がなくて淡水魚のナマズとかがごちそうの土地に海の魚ですからね。「おお~!」みたいになって。まあ、そんなつまみをネパールくんだりまで持っていく人間も人間なんですが....

ネパール人たちはビールかSIGNATUREとい名前のウィスキーが大好き。
ところが外人の私が大のロキシー好きだといことで受けるみたいです。ロキシーの話が始まるとみんなが笑顔になります。「安いなあ、こいつ。」みたいな感じですかね。

30°くらいのロキシーが750mlのビール瓶にいっぱい詰まって120円くらいなんです。ビールは1瓶350円くらい、SIGNATUREは1瓶3000円くらいですから、圧倒的なコストパフォーマンスですよね。






















子ども達の水場 2017


引き渡し式に向かう途中でヒマラヤが見えました
ネパールの震災で、政府は外国人が直接被災地に寄付することを禁じました。外国の宗教団体が、入信を条件に寄付をすると言ったとか、そんな理由だったっと思います。

が、しかし、実際には政府の要人達が、自分の所を通させて私腹を肥やそうとしているのはネパールの人々はもちろん、外国人ボランティアも分かっていました。地方の議員は、国ではなく地方に任せろと言いはじめていました。政治に携わる多くの人が自分のポッケに少しでも入れようとするという、ネパールのいつものパターンでした。

パンク修理中の私達のジープ
山間部のお店はこんな感じです
私達はその様子を見ながら皆さんに頂いた寄付金の使い道を模索して1年が過ぎてしまいましたが、結局、地震に関する復興支援でなければ政府も県も口出ししないと言うことが分かりました。






そこで、生活に直結する水場の支援をすることにしました。震災の義援金として頂いたご寄付の中で特に大きな金額だった咲き織順子様には別途でひとつの水場を作らせて頂きました。子ども達の水場です。


大きな学校の水場が老朽化のために壊れたと言うことで、水場を作り替えました。地震で壊れたから援助したのではないという建前です。

高学年の生徒までいる大きな学校では、子ども達が飲むための水を水場から水瓶に汲んできたのではとうてい間に合いません。ですから、地震で水場が壊れたのは大変困る事だったのです。

先生方が毎日やっていた水場からの水汲みが、咲き織様のおかげでなくなりました。先生達もホッとしたようでした。



セレモニーには休日のその日に集まってくれた生徒達と先生方、そして地域の方々がお見えになりました。

山間部の小さな学校とは違い、先生方のセレモニー用のここぞの服も、何と都会的なことか。なかなかカッコイイですよね。まあ、特にこの先生がお洒落だったのですが。

バジさんのネパール語でのスピーチが炸裂しています。なんとも笑い声の絶えないこと。
きちんとしたお祝いの言葉から始まって次は「幸せなら手をたたこう」の歌でした。動作をつけながら歌う歌はネパールにはないようで、大受けです。

盛り上がったところで今度はボケ防止の運動?右手で耳をつかんで左手で鼻を。次は右手で鼻をつかんで左手であごを。これが結構難しいんですよね。

生徒も大人達も大喜び(⌒▽⌒)
東京の高校生達が集めてくれた中古のバレーボールも子ども達にあげました。

最初はおもちゃを買って送って子ども達を笑顔にしたいと、自分たちの想いを伝えてきた彼らですが、お金じゃなくて足で中古のバレーボールを調達してくれるよう頼むと、彼らは自分たちの足で21個ものバレーボールを集めてくれたのです。

ひとつは空気を入れていって見せると、子ども達の目が輝きます。欲しい?って聞くと、みんな「ウンウン!」。まあ、ネパールのウンウンは頭を左右に振るので、欲しそうな顔でいらないっていっているみたいですが。(⌒▽⌒)

ボールを生徒達の方に投げると、女の子達の歓声があがります。高学年の男子生徒達が模範演技をしてくれます。まあ、思春期の子達ですから、やる気なさそうにやるのですが、でもやっぱり嬉しそうな顔はしています。        

最後に「もっと欲しい?」って聞くと、これまた女の子達の「ウンウン!」「じゃああげるよ。」って、空気の入っていないボール4つと空気入れを出してあげると、おおきな歓声と拍手があがりました。やっぱりボールは嬉しいんですね。

ネパールの子ども達にはおもちゃという物がありません。遊びが出来るもの、特にひとつあればみんなで楽しめる物はかけがえのない宝物になるんですね。









引き渡し式を終えて、この日の宿泊地へ向かいます。
バジさんが打合せのために、途中の小さな村に寄りました。特にすることのない私は、村をブラブラ。村の日常を見て回りました。水牛を小屋で飼い、山羊を外で飼うのはどこでも見る風景でしょうか。この村は谷間にある平地の多い村でした。



夕暮れ時で、女性達が畑から帰ってきました。
ネパールの女性達は働き者です。重い荷物を籠に入れ、頭に掛けたベルトで重さを支えて運びます。

休日の子ども達は、外国人だと分かる私が珍しいらしく、近寄ってきました。写真を撮ろうか?と身振りで示すと、女の子二人がウンウンと言ってこちらを向きます。神様の祠の前で記念写真です。

この祠には、どんな神様がいるのかはっきり聞くことはできませんでしたが、多分先祖霊のような土地神様なのではないかと思いました。この土地を守るためにいらっしゃるようでした。




ジャージ姿の若い女性も通りかかりました。籠は袋に変わっていましたが、やはり頭で支えることには変わりないようです。





そして、この日の宿、OKセンターに着きました。
この高台からの景色を見ると、パルパに着たなあと実感します。




















OKセンターから見た景色です。
この日は満月でした。

最初に来た頃とは違い、パルパにも随分夜の明かりがつくようになりました。
太陽光で発電して蓄電した電気は使わないと意味がないので、LEDを使って常夜灯として付けている家が多いのです。