2019年3月29日金曜日

震源地ゴルカ お産施設再建

カトマンズから来たラムさんの車に乗って、ネパール地震の震源地だったゴルカへ向かいます。

ラムさんご自慢のランドクルーザー の勇姿です。

ゴルカでは、ドクター・シュザムのBirthing Center(お産施設)関連のセレモニーが行われていました。

女性達が数多く参加しています。


セレモニーでは、地震で壊れてしまったBirthingCenterを再建してくれる人として紹介され、まだ、小切手を渡しただけだったのに感謝状をいただいてしまいました。

ドクターに小切手に口座名を書いてと頼んだら、金額まで全部書かれてしまいました。(笑)
ネパール語でさっぱり分からないものができてしまいましたが、アラビア数字で書かれたところを見て、最初に渡す金額に間違いはないのでよしということに....


セレモニーの主な部分が終わると、いつもの通り踊りが始まります。左の写真はBBの娘さんが踊っているところです。ちょっとおしゃまで、いたずらっぽい笑顔のかわいい娘さんです。

若いお母さんたちの踊りも入り、セレモニーは3時間半ほどで終わりました。

そう、長いんですね、こちらのセレモニーは。偉い人が延々と話し続けていくんです。ネパール語のわからない私にとっては、何の意味もなさない時間なわけで、電波さえつながればネットでも始めたいところなんですが、電波はつながりません。



地元の人達も、ちらほらのぞきに来ます。
大きな行事なのでやはり、 気になるようです。


右上の写真は名札です。葉っぱに書いて虫ピンで留めるだけです。充分ですよね、3時間半もてば良いんですから。

これだったら気兼ねなくどこにでも捨てられます。紙やプラスチックがやたらに安くはないこともありますが、やはりゴミ対策でしょうね。土に帰る時間も短いし、放ってあるのが見えていても汚く感じませんもの。










上の2つはセレモニーのあった郡の中央にあるBirthingCenterの看板です。
学校に通えなくて字の読めないお母さん達もいるので、絵で説明しています。

でも、絵で説明するのって難しいですね。
左上の看板で伝えたいことは、多分.....

赤ちゃんに物を食べさせるときには食器を熱湯消毒してね。
温かいうちに台の上に載せた食べ物を食べさせるのは良いけど、地面に置いて冷めてしまってハエとかが来たりしたものはダメよ。
食器は台の上にきれいに洗っておいてね。
野菜はちゃんと水で洗ってね。
そして最後は、死んだ山羊が腐ってたら食べさせちゃダメ?????

右の看板の意味は、ほとんど分かりません.....


ラムさんが迎えに来てくれました。でもゴルカの泥道を自慢の車で走るのって、ラムさんにとっては結構ハートブレイキングなことかも。
まあ、地元の友達から頼まれた仕事だし、地元にお産施設を作ってくれる人を乗せる仕事だから我慢してやってくれているのかな?ありがとね、ラムさん。
























2019年3月28日木曜日

山の上の女神様

パルパからジープで5時間半ほど北に上がってこのホテルに着きました。シッダールタ・ホテル、お釈迦様の名前の付いたホテルです。

これもまたエクスペディアで取ったホテルです。45ドルほどしましたが、欧米人をあつかうホテルで、”Hearty Hospitality” 「心からのおもてなし」とでも訳すんでしょうかね、このことばをモットーにするホテルでした。

ウェルカム・ドリンクを部屋まで持ってきてくれたりして、なかなか立派なサービスをするホテルです。ネパールでは初めての経験でした。

久々に熱いシャワーを浴びて生き返ります。ネパールの田舎にはシャワーや風呂というものがどこにもありません。だいたいそんなことに使える水もありませんしね。
彼らは衣服を着たまま川や水の豊富なところに出かけた時に水で沐浴するのです。私達にはできませんから結局田舎にいる間一日も風呂には入れないのです。

水のないこの地域でプールを持っているとは、なんという豪華なホテルなのでしょう。

川縁の庭にはテントの宿泊施設もあって、ネパールの人達が楽しそうにバーベキューをする姿が見られました。



翌朝の11:00にBBがこのホテルに迎えに来てくれてネパール地震の震源地、ゴルカへ向かうことになっています。


午前中が空いたので、私の尊敬する沖縄のシャーマンさんから頂いた宿題をやり遂げることになるかもしれないという希望を抱いて、ホテル近くの山の上にいらっしゃる女神様にご挨拶に行く事にしました。


ホテルの前を流れる川を越えてロープウェイが山頂に向かっています。
清らかな川の流れを越えて神々の元へ向かうという形は、聖なる場所へ出向く方法としては理にかなっています。

スイス製だという長距離、超高速のロープウェイは瞬く間に山頂へと向かいます。

同じゴンドラに乗り合わせたネパール人家族の女の子が本当に嬉しそうにお父さんに話しかけるので、私まで幸せな気持ちになってしまいました。

まだ、朝靄の掛かる山々がはるか彼方まで続きます。
いよいよ神々の元へ行くのだという期待感が高まります。


















女神様のお社は雲の上にありました。







雲と重なって見えにくいのですが、ヒマラヤの山々が見えています。

シャーマンさんから教えていただいた供物を女神様にお届けしようとしたら、堂内にはヒンドゥーの信者しか入れないことが分かりました。そこで、塔を守る兵士に供物を届けて貰えないか聞くと、快く引き受けてくれ、彼は私の供物をお堂に納めてくれました。

お堂の正面の柵の外で三拝をしてご挨拶をすると、周りの人達が頼んでやるから中に入らせてもらえと言って交渉してくれました。交渉は成立しませんでしたが、嬉しい出来事でした。


右の写真の屋根の下に斜めに掛かっている柱は龍神様の形をしています。
ヒマラヤを望むこの地にも、やはり龍神様がいらっしゃったのです。


自分のやるべき仕事をきちんとやってから肉体を離れられるよう、お力を貸していただきたいとお願いしてきました。





左の写真は供物の山羊です。生きている動物を肉にして食べる場面に出くわさない私達は、生け贄を野蛮なものとしてしか見られませんが、ネパールの人達にとっては滅多に食べられないごちそうです。その山羊を女神様に捧げるために、山羊の運賃を支払ってロープウェイに乗せて来たのです。


帰国してから分かったことですが、この女神様は「心の願い」という意味の名前を持っていらっしゃり、小国だったゴルカの国王がこの女神様に願を掛けてネパールを統一したのだそうです。
この女神様にお参りするには土曜か日曜が良いのだそうです。何も知らずに行きましたが、私が行ったのは土曜の朝でした。ちょっとゾクッとしました。


2019年3月27日水曜日

4つの水場 ~幸せの音~



山奥に散在する十数件の家で成り立つ村から水場の支援要請がありました。村人達の便宜を考えると、写真にある7軒で使う最も大きな水場の他にもう3カ所で水場が必要でした。最も小さな水場はたった1軒でしか使わない水場です。

しかし、彼らも自分たちの農地を離れては生活のしようもなく、水汲みの仕事から解放される日を夢見てきました。水汲みは、毎日の仕事ですし、毎日1時間以上かけて水を汲み30Kg以上の水を背負って山を登るのは決して楽なことではありません。
タンセンに修理増設をして2800人分の水を供給する水場を作るために支援したことがありましたが、それとは真逆のような状況の水場でした。


この水の音は彼らにとっては忘れ得ぬ幸せの音になったかもしれません。











こんな山奥のどん詰まりの尾根に張り付いたような村でした。

鳥の声しか聞こえないような穏やかで静かな日でした。













村長さんの家で食事をごちそうになりました。

左の写真はトウモロコシの保管場所です。
藁で雨から守り、高いところに置いて動物から守るようです。トウモロコシは人にも家畜にも大事な食料になるようでどの村に行ってもトウモロコシの保管場所はあります。

下の写真はミツバチの巣箱です。真ん中の穴から蜂が出入りします。密を取るときには右側の泥の壁を壊すのです。


右は蜂蜜です。巣ごと食べるのですが、これがなかなか美味しいのです。日本ではこういう形で食べることはないので貴重な経験でした。




左は子豚のレバー肉です。子豚を料理してしまうのはもったいないことなのですが、私達のために料理してくれたようです。
普段は肉はあまり食べないのですが、皆さんのお気持ちを考えて、少し頂きました。柔らかい肉でした。


上の写真の尾根の真ん中辺りに白く見えるのがもう一つの水場だそうです。別の尾根にありました。これでは、別に作らなくては使えそうもありません。



そして、左の写真の中央付近に見えるのが3つめの水場だそうです。これも随分下の場所ですから、別に作らなくてはならないでしょう。


一軒だけのための水場がこれです。水を溜めておくための水槽を作るだけのお金はなかったので、流れっぱなしの水をいろんな容器に溜めて使うようでした。

でも、水が貴重なパルパでの生活に慣れたバジさんにとっては、水の流れっぱなしは許せないようで、蛇口を止めていらっしゃいました。

彼らにとっては、タライに水の溜まる音は幸せの音として聞こえていたのかもしれませんね。

2019年3月26日火曜日

幼児教室引き渡し ダンスと弁天様

新しい幼児教室ができました。

レンガ色の壁に白の柱、青い屋根の配色がとてもきれいです。

作業も丁寧できちんとできていますから、村の人達がとても大事に作ったことが分かります。

中規模の学校の幼児教室ですから、労働奉仕も一軒当たりの回数が少なくても全体では随分な労働力が費やされた事でしょう。



バジさんが出来を褒めています。鍵を開けるセレモニーをやらせて貰いました。




中も白く塗られていて教室が明るくできています。明かり窓も適度な大きさです。

なかなか上手にできています。








校舎の引き渡し式です。



バジさんのお話を楽しそうに聞く子供達。バジさんはどこの学校へ行っても人気者です。


「幸せなら手を叩こう」をネパール語で歌い、子ども達も一緒に手を叩きます。足ならしたりおでこ叩いたりとひとしきり楽しんだ後は、ボケ防止の体操です。

日本からのボランティアの方達に教わったと言うことですが、これがなかなか難しいんです。

先生達も子ども達も全然できません。かくいう私もほとんどできなくて大笑いになります。
σ(^_^;)

次はセレモニーではお馴染みのダンスです。ネパールの人達は踊るのが本当に好きです。
歌はそれほど歌わないのですが、踊りは必ずと言って良いほどセレモニーで披露されます。














最後は感謝状です。


右上の女神様は弁天様です。弁天様はヒンドゥーの神様で仏教の守護神である天部の中のお一人です。ヒンドゥーでのお名前はサラスバティーで、学芸の神様です。

じゃあ、神社にある弁天池は何なの?ってことになるのですが、これが不思議な話なんです。水の豊富な日本の固有の宗教である神道には、水の神様が不在に等しいと言うことなんです。神社の池が弁天池になってしまっているのですから。
罔象女神(みつはのめのかみ)という水の女神様はいるのですが、ほとんどの人が知りません。「君の名は。」というアニメ映画の中で主人公の一人が「みつは」で、水と火と龍、男女、陰陽の融合のお話でしたが、そんなことに気づく人もわずかでしょう。神社で水の神様と言ったら、普通は弁天様を思い浮かべますから。

ところが、インド・ネパールでは、弁天様=サラスバティー神は学芸の神様で、水とは何の関わりもありません。学芸の神様ですから、教育関係の感謝状の常連様です。水の神様は他にいるのです。
謎ですね。瀬織津姫様という水の神様を隠すために弁天様が引っ張り出されたというのが私の持論ですが、それはまたの機会に。


で、実は大事なところは

「んーん、本当はドナーさんに向けて感謝状が欲しいんだけどなあ~。お金くれたのドナーさんなんだけどなあ.....」という心のつぶやきです。

まあ、細かいこと?は気にしないというお国柄ということで。彼らにしてみたらOKバジさんと私達しか見られないからなあ.....        ドナーさん、ごめんなさい。








教育を受ける環境と障害者の雇用を産んだ学校





日の出と共に起きて東パルパの村へ。4輪駆動のジープに乗って出かけます。


途中、村の食堂で朝食を食べます。

運転手さんと3人でチャウミン(やきそば)を食べました。
ブラックティーを頼むと生姜が入った紅茶が出て来ました。なかなか美味しい。




途中、いくつも同じような建築途中の建物を見かけるのでバジさんに聞いてみると、地震から4年後にしてやっと政府の援助が入ったそうです。

被災家庭に約30万円の援助で政府の指示通りの二間の家でないといけないようです。多少の蓄えのある家庭は自分達で部屋の大きさを大きくすることはできるようで、大きさはマチマチです。


政府の援助だけで建てているだろう家は、かなり小さいですね。
地震対策ということで基礎をかなりしっかりやらなければならないようで、30万円でこの大きさ?と思ってしまいますが、それでも何も補助がないより良いと、村の人たちは政府に感謝していました。








私達の最初のネパール支援で修理したチース村の取水口も見えました。石を熱して水を掛けて手作業で村人達が岩を割って作ったものです。

川の下がる角度よりも少しだけ緩やかな人口の水路を3km引いて川面との落差を作り、そこから水田に水を流して行う稲作の水路に水を流すための取水口の修理でした。

同じ頃、尊敬する愛媛の池田先生のグループが作った通学用の橋も懐かしく見させて頂きました。





山の上の学校




この子達の学校ができました。
山の上にポツンととり残されたような30軒ほどの村に初めての校舎です。

先生を雇うお金がないので建築資金の一部を先生のお給料基金に回しました。だから校舎は小さくて外壁の上塗りもできていませんでした。それでも、利子だけで先生のお給料を出せるようにしたのです。






先生のお給料はたくさん出せないのだけれど、野良仕事ができない障害のある方に先生をやってもらうことにしたと建設責任者の大学出たての若者(左の写真の帽子の青年)が言いました。

村の人たちもその話の時にみんな笑顔でした。みんな優しいなあ。


左の写真で腕を組んでいる方が先生です。最初の集合写真にも写っていますが、背は子ども達より少し高いくらいで、足がお悪いようでした。




大工さんの支払いを少なくするために30軒の家で随分労働奉仕をしたようで、壁が少し波打ったりしていました。格好は良くないかもしれないけれど、村人達の想いが形になったような校舎です。


大学を出てから村に戻る若者はほとんどいません。
彼の自分の村に対する想いに頭が下がると同時に、彼の村に対する夢が叶うことを心から祈りました。


テープカットをさせて頂きました。

責任者の青年や先生のお人柄でしょうか。この場面で私の後ろに子ども達がいたことは初めてです。いつもは大人がいるのです。






     
ぽつんと取り残された様な村に教育を受ける環境が整いました。この村の発展を願う建設責任者の青年の想いを継ぐ子供たちが育ってくれることを祈ります。

とても心に残る引き渡し式になりました。