右の写真はドクター・シュザムの診療所です。この日は、お母さんが赤ちゃんを見てもらいに来ていました。
ネパールでは、子供が2歳になるとそれまで生きてこられたことを祝う行事があります。それほど小さな子ども達の命は失われやすいのです。
お母さん達に衛生面での知識がないことも一因で、ドクター・シュザムはそれも何とかしたいと思っています。綺麗な自分の診療所より、お母さん達に衛生面での知識を教えてあげられる場所が欲しい方が先のようです。
ドクター・シュザムは明るい表情で笑っている時と、真剣なときの表情の違いが際立つなかなかのやり手です。診療の時の表情は真剣で立派です。
右上の写真は小切手を実際に渡しているときの写真です。左からBirthingCenterの所長さん、去年まで所長だったけれど今年は郡の医療の代表になったドクター・シュザム、私でBBです。
右上の写真は小切手を実際に渡しているときの写真です。左からBirthingCenterの所長さん、去年まで所長だったけれど今年は郡の医療の代表になったドクター・シュザム、私でBBです。
この日は2年前に視察に行き、今回再建することになった BirthingCenter のあるラプマタ村へ出かけました。ドクターがカトマンズでの会議に出なければならなかったのでドクターの奥さんが私達と一緒に出かけてくれました。
ドクターはネパール地震の後、インドからテントを寄付してもらってお産施設を何とか続けて来ました。しかし、何せラプマタは写真のように朝行くといつでも霧の中という場所。
ドクターはネパール地震の後、インドからテントを寄付してもらってお産施設を何とか続けて来ました。しかし、何せラプマタは写真のように朝行くといつでも霧の中という場所。
地震から4年が経った今となっては、綻びをいくら縫っても苔とカビだらけになってしまいました。
中から見てもこんな風にカビが生えていては、なかなかここでお産をしようとは思えないのは分かります。2年前に行った時でも、使う人が少なくなってラプマタの若い女性の看護師さんのお給料がちゃんと出ていないという話でした。
でも彼女は、BirthingCenter は地域にとって本当に必要な施設だから、お給料がちゃんと出なくても、なるべく続けたいと言っていました。今回村に行くと、彼女が真っ先に私を見つけて笑顔で迎えてくれました。続けていてくれたんですね。彼女のためにも、早急に建ててあげたいものです。
2年前に来たときには、地震で廃墟のようになっていた校舎が取り払われ、新しい校舎が後ろに建っていました。復興が少しずつ進んでいるようです。
右が2年前
左が今年
でも彼女は、BirthingCenter は地域にとって本当に必要な施設だから、お給料がちゃんと出なくても、なるべく続けたいと言っていました。今回村に行くと、彼女が真っ先に私を見つけて笑顔で迎えてくれました。続けていてくれたんですね。彼女のためにも、早急に建ててあげたいものです。
2年前に来たときには、地震で廃墟のようになっていた校舎が取り払われ、新しい校舎が後ろに建っていました。復興が少しずつ進んでいるようです。
右が2年前
左が今年
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