とうとうネパール地震の震源地に近いところにあったお産施設が再建されました。
下の写真は昨年のお産施設の様子です。地震の後、ひび割れができて危険になってしまったお産施設を取り壊し、インドからテントを貰うことでドクター・シュザムとナースはお産施設の活動を続けていました。
なにせラプマタは左の写真のように霧の濃いところ。乾季であってもこの霧に悩まされ、雨期ともなればバケツをこぼしたような雨が降るわけですから、コケとカビだらけになっても仕方ありません。
施設がこんな状態になると、ここをお産に使う人はどんどん少なくなりました。それは分かりますよね、この状態では.....
それでも施設を預かるナースはこの施設を守りました。彼女のお給料はこの施設を使ってくれる人たちが支払うお金の中から出ていたため、無給の期間がずいぶん長くあったのにもかかわらずです。
そして、とうとうできあがったのが上の写真の施設です。
屋根のトタンも質の良い物ですし、仕上げも丁寧にできています。ドクターと村人達の精一杯の心が入っている感じがして嬉しい限りでした。
この施設を守り抜いたナースが左の写真に写っている方です。二児の母です。
この施設は皆さんから頂いたご寄付ではなくて私個人のお金で建てました。この地域でのドクター達との初めての共同活動でしたから、失敗してお金が無駄になってしまいましたとご寄付を頂いた方達にお話しするわけにはいかなかったからです。
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右下の写真に写っているのが、どんな症状にどんな薬が効くのかが一覧になった表だそうです。
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この施設が出来てから8年間施設を守り続けたナースにはチーフとして活躍してもらうことになりました。右の写真が彼女のデスクです。この施設が大きな建物として再建された事でドクターシュザムも施設も郡の医療から認められて、ナースの給料が郡から毎月定額できちんと出ることになったそうです。
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私は知らなかったのですが、山間部の(医療施設との併設ではない)独立したお産施設としては、ネパールで初めての施設だったのだそうです。地震で建物が壊れて、その試みが崩れようとしていた時に再建の話が私に持ちかけられたのです。
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ですから、この施設はドクターとナースのそしてこの村の人達の夢であり誇りであったのです。
妊婦の呼吸に問題が出たら対応するための機器が手に入ったとチーフナースになった彼女が嬉しそうに機械を見せてくれました。
そして、これからは右の写真の赤いお産セットがお産をした人全員に配られるそうです。ネパールではお母さん達の衛生面での知識が不足しているため、産着から15のアイテムを揃えたセットを渡すことで新生児の命を守るのだそうです。
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ネパール語は全く読めませんが、私の名前だけは読めます |
最後に「子供達は地域の未来なのだから、大事に育てて、このドクターやナースの様にこの地域の発展に尽くせる人物に育ててくれたら嬉しい。」と言った時にも。
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延々と長く続く地域の偉い人の挨拶の中でZenpo Hiraoがあまりにも何度も使われたため、若者達でさえ私の名前を覚えてしまったようでした。
若者の1人が私にネパール語は話せるかとききました。I know ロキシー(ヒエの酒) and ミートチャ(美味しい) and デリー・ミートチャ(とっても美味しい).と言うと、みんな爆笑。
若者から話しかけられたのは、多分初めてです。
セレモニーの後のパーティーではみんなメッチャクチャ笑顔で私にロキシーを注いでくれました。
幸せな1日でした。
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左からドクター・シュザム チーフ・ナース 私 BB |
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ラプマタはこんな所です。乾期の2月でさえ霧にかすんでいます。まあ、春霞もあるんですけどね。遠くに見えるのが学校です。地震で壊れてしまった校舎の再建が進んでいました。
なぜか分かりませんが、右の写真では子供達が集まっている樹の周りが白く写っています。不思議な感じですね。
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