カトマンズに昼過ぎに着いたのは良かったのですが、バイラワへ向かう国内線がディレイで17:00くらいまで待たされてからの搭乗でした。
バイラワ空港を出たのが18:00頃でしたから、タクシーの運転手さんも待ち遠しかったことでしょう。運転手さんは少しでも早くタンセンに着きたいはずでしたが、どこかで夕食を食べていきたいと乗ってすぐに伝えておきました。
以前に19:30頃にタンセンのホテルに着いたらホテルのレストランが20:00で閉店だったの思い出したからです。
途中のブトワルという大きな町でとりあえずチャウミン(やきそば)を一緒に食べてタンセンに向かいました。
タンセンの町にあと30分くらいの場所で、バジさんからお電話を頂きました。バジさんはこちらの飛行機のディレイを知りませんでしたから、随分お待ちになったはずです。
ただ、バジさんのお電話は着信はしないように設定されているので、こちらからお電話で連絡することができないのです。着信を許すとネパールの方達からひっきりなしに電話が掛かってしまいます。
お電話を頂いたところでディレイの説明から到着時刻が21:30を越えることまでのお話をして、明朝6:00にホテルのロビーでお会いする約束をさせて頂きました。
その後、運転手さんの知り合いの食堂に行き、地元の酒ロキシーとつまみのジャガイモ料理と揚げ餃子のようなものを手に入れてホテルに向かいました。
ロキシーは1㍑のペットボトルに一杯詰めてくれて100ルピー(110円程度)と大安売り。つまみもいっぱいもらったのに全部で200ルピーとは正直者のお店です。それでも地元の人の1.5倍以上は払っていますが。σ(^_^;)
翌朝、ホテルのロビーでお会いしたときのバジさんです。いつもはホテルにお泊まりになっていますが、今回はニューエカタクラブの会長さんの家にお泊まりになったようでした。
お元気そうで何よりでした。紅茶をごちそうしていただいたので、それを頂きながら皆さんからのご寄附の内訳の確認と領収書へのサインを頂きました。
頼んでおいたジープが来たところで出発です。
今回は10分遅れほどで到着してくれたので、なかなか優秀なドライバーさんです。
途中、バジさんのお宅へお邪魔しました。
月に2日か3日ほどしか家に泊まられないバジさんですが、いろいろな村へ届ける荷物は基本的にここに置かれるようで、荷物の出し入れはよくされるということでした。
バジさんに送ったお金がちゃんと使われているのかどうかと心配なさる方が時々おられるのですが、この住居を見る限りお金がネパールの人達に届いているとしか考えられません。下の大きな写真のバジさんがかがんでおられるところに丸まっているのはベッドの敷きござです。ご自分のベッドにマットすらないんですよね。
実は7,8年前、このベッドに3mmくらいまでぺちゃんこになったキャンプ用の青いウレタンマットがあったので、次の年に私が新しいマットを日本から持って行って差し上げたんです。が、次の年にはもうありませんでした。村人にあげてしまっているんですね。
Tシャツを差し上げても同じ事が起きます。ボロボロだからと思って差し上げても「私はいらないんですよ。」と笑顔で返事が返ってきます。ほとんどの物質とは既に決別されているようです。
左下の写真に写っている袋の中に入っているのは、日本各地のボランティア団体の方たちが持ってきてくださった服です。わざわざ飛行機の手荷物で持ってきてくださったものなのですが、なかなか村人たちのところへ持っていける日が来ません。実は村人たちは、各家庭分とか全員分とかそろわないともらおうとしないからです。
そうして預かっている服がねずみなんかにかじられないように宙吊りにされたり段ボールやビニール袋に入れられているのです。
つまり私物はほとんどないということです。
最後はバジさんお宅の外観です。学校や水場を作ってくれるのに、自分はテントに住んでいたバジさんの様子を見かねて、村人たちが作ってくれたものです。月に2,3日しか帰ってこない6畳ほどの家でも、バジさんにとっては我が家です。
そしてこの日、校舎の引渡し式がある村へと向かいました。
途中の道がこれです。
今までネパールで経験したどの道よりもインパクトのある道でした。σ(^_^;)
泥で車輪を取られるような道ではないのですが、もしも崩れたり石が落ちてきたりしたら一巻の終わりですね。すれ違いだけは勘弁してほしいので車が来ないことを祈りました。
前や下を見るとスリル満点です。こんな所でバックは絶対したくないですよね。σ(^_^;)
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