少し離れたところの家は、石を積み始めていました。
ヒンズーのお寺の横に仮の住まいを作らせてもらって住んでいる家族もありました。
元の土地には仮の住まいも作れない状況だったようです。
私がネパールに支援を始めた頃には、パルパではトタンを買うお金がなかなか捻出できない学校が多かったのですが、ゴルカはパルパより裕福なこともあり、今では個人でもトタンを買うお金が捻出できるお宅が多いようです。
BBの従兄弟の家だそうです。
2階建ての立派な家だったのですが、2階がほとんど崩れてしまい、今では危険な廃墟でしかありません。
廃墟にも美しい花は何事もなかったかのように咲いていました。
彼らは別の場所にトタンで仮の住まいを作っていました。
こんなふうに木材をまとめてあるのは、木材が貴重なので、再利用しようとしているためです。
日干しレンガはまた買えますが、木材は買うには高すぎるようです。人口の増加で木は日々の煮炊きに使われてどんどん少なくなっているようです。
上の2枚はトタンの家で生活をしてる一家の写真です。
日干しレンガと違い、外の暑気や冷気はそのまま家の中に伝わってきますが、雨風は防げます。
ただ、老人や小さな子供達にとっては体力を消耗してしまう過酷な家となってしまいます。
右のおじいさんは、被災した家で暮らしています。
被災して家が崩れてしまいそうになったので、2階を壊して平屋にした家で暮らしているのです。
精神的にダメージを受けてしまったようで、うまく声が出せなくなってしまいました。地震で生活がメチャクチャになってしまったと私にしきりに訴えていました。
おじいさんの家族は「相手にしなくて良いよ。いつまでも地震のことから離れられなくてしょうがないんだよ。」と私に話しました。
考えてしまいました。
おじいさんは責められるべき人ではありません。本当にお気の毒です。
でも、おじいさんの家族のように、自分のその時の状況をスタート地点として受け入れて歩いて行こうとする人達もいるんですよね。
人の幸せとはいったい何なのでしょう。ネパールの人達にとっては究極の幸せとでも言える、豊かな物に囲まれた状況にいても幸せではない私達日本人。
本当に必要なのは何なのでしょう。
貧しさと極限の不便さを目の前にして、私は幸せについて考えざるを得ませんでした。
一日も早い復興を願います.....
0 件のコメント:
コメントを投稿