2019年3月26日火曜日

冬→夏→春 カトマンズからタンセンへ

翌朝は猫もかたまる寒さのカトマンズでした。
乾期なのに雨が降って寒さが増しました。

ネットバンキングといっても残高照会のみの機能になってしまいましたが、ないと困るので前日に引き続いて銀行へ。

帰りに自分のホテルの前のカフェの日だまりがとっても気持ちよさそうだったので、コーヒーを飲みに。

イケメンの店長さんが話し好きで、パルパへ校舎の引き渡し兼開校式に出かけると分かってしまいました。
そしたら、店長さんからカップケーキの差し入れ。
ちょっと幸せな気持ちになりました。


午後はシッダルータ・ナガル(バイラワ)に飛んでパルパへ。
BBの友達で同じ村出身のラムさんが空港まで乗せていってくれました。2年前もゴルカへ行く時にはラムさんの車でしたが、車がアップグレードしています。

日本製と同じ仕様のランドクルーザーです。ネパールは車輌購入税が車体価格の倍だそうなので、中古でも一千万円近くしたはずです。カトマンズでも滅多に見ない車です。


以前の会社から独立して、結婚式の花嫁花婿やVIPを乗せるチャーター車の会社を自分で作ったんだそうです。ラムさん、スマートエントリーやUSB充電を見せたくて、ちょっとかわいい。(笑)
もちろん、ビックリしてあげましたよ。「スッッゲー、ラムさん!」の声でラムさんの顔が....(⌒▽⌒)



 カトマンズを後にして、一路バイラワ(シッダルータ・ナガル)へ。
上から見るとカトマンズはやはり大きな町ですね。でも、工場のような建物はあまり見当たりません。

ヒマラヤを遠くに見て1時間弱のフライトです。




猫も猫も固まるカトマンズを出発してシッダルータ・ナガルに着くと真夏です。

お釈迦様生誕の地、ルンビニのあるシッダルータナガルは写真のように米が何期作もできる温かくて肥沃な土地です。
でも、この土地の人達はのんびりしています。

私達が支援しているパルパの人達は気が遠くなるような開墾をして山をほとんど段々畑にしています。同じように働けばお金持ちになるんでしょうけれど、お金持ちになる事とのんびりした時間を過ごす事を天秤にかけると、「絶対に後者!」になるんでしょうね。生き方は選べますからね。


空港にはOKバジさんにおねがいしたタクシーが待ってくれていました。空港から3時間半でタンセンに着きます。

パルパへようこそという看板をくぐると、とたんに道路がガタガタになります。裕福な県と貧乏な県では道路も違ってしまうのです。


パルパの県都タンセンに着くと18:00過ぎでした。月が綺麗でした。

出迎えて下さったバジさんにご挨拶して荷物を部屋に置いて早速食事です。

バジさんはいつも20:00頃には寐られるので、その前に食事を済ませて打合せをしておかなければなりません。








小切手を送ってもネパールで換金できなくなってしまったのと、日本からの国際送金がとても難しくなってしまったのとで、私がネパールにいる間に小切手をバジさんの口座に落として貰うよう、さっそく小切手をお渡ししました。

















カトマンズの台所とウール小物

カトマンズ市民の台所アサン・チョークへ夕方出かけました。馴染みの紅茶屋の親父さんに挨拶して、いつもの紅茶や岩塩の値段を確かめて後はブラブラ。

ここは活気があって、なおかつ観光客向けの値段を言われないので、面倒な値段交渉をせずに安心して買い物ができます。

でも、ご覧のとおり店のすぐ前をバイクも自転車も車もバンバン通り過ぎていきますから、ここへ行かれる方は注意してくださいね。

左は豆とか米とか乾物とかを売っているお店です。

ネパールの人達の主食は米。そして、ネパール料理で欠かせないのはダル。豆を使ったスープをご飯にかけて食べるのが一般的です。


そして右は魚屋さん。干し魚が一般的です。カトマンズのような都会には生の魚を売る店もありますが、私達が支援をしているパルパのような山間部は、飲み水にも困るような地域ですので、魚はほとんど食べません。川の近くの村では川魚を乾して売り物にするようです。

以前、湖の近くでナマズを買ってBBの友達のホテルのオーナーに料理して貰って食べたことがありますが、ナマズはなかなか美味しかったですよ。でも、すっごい高い。 


右の写真は、八百屋さんというのかなあ。葉物しか売っていない人達が結構います。葉物を油で炒めて食べる料理は一般的です。まあ、最後にカレー粉が入っちゃったりするんですが。


左の写真は八百屋さんですが、今袋に入れているのは生姜。生姜の辛味もよく使われます。紅茶に入れたりもします。

















ホテルに戻る道すがら、ウールを使った小物屋さんをいくつも見つけました。ネパールに行き始めた頃には、タメルの中心部のほんの数件にしか置いてなかった小物が、今年は急に増えていました。
お土産に買っても、「イマイチかわいくない。」と言われてしまいますが、レベルは随分上がってきました。もう少しですかね。下の写真はベイビーシューズです。




このお店のぬいぐるみ達のかわいさは、今までのカトマンズにはなかったレベルです。

まあ、これでも日本に帰ってきてしまうと、「ウーン、何で買ってしまったんだろう。」ということになりかねませんが。




これでも、随分レベルアップしたんです。もう少しです。頑張れネパールの職人たちよ。








カトマンズ到着2019

国籍不明人になってると息子の嫁にいわれました。
曹洞宗の僧侶の正式な外出着にネパール帽なんですよ。
ガイド兼日本語通訳のBBに夜のトリブバン空港に迎えに来て貰って、ホテルに着きました。何せ夜のトリブバンは訳の分からないタクシー運転手達の巣窟なので、到着時にその場でタクシーを捕まえるのは危険を伴うんですよね。

今回はエクスペディアなる予約サイトで予約したホテルが1泊16ドルでした。この程度の値段のホテルで快適だったことはないのですが、写真で見る限り綺麗だったので、取ってみました。
ちょっと心配しましたが、夜中の12:00を過ぎているのにもかかわらず、守衛さんがちゃんと待機していてくれました。

部屋に入ると壁面が全面鏡で手洗いの水道まで付いています。絵まで飾ってあったりして今まで30ドルくらい出して泊まっていたホテルよりきちんとしています。

シャワーを浴びるときちんと熱いお湯が出ます。これラッキーなことだったりします。寒くて入れないようなお湯だったりすることが良くあるんですよね。

今回はまずますラッキーで始まりました。


翌朝チェックインに行くと、朝食を食べて行けと言われます。「えっ?、朝食付きなの?」
16ドルは朝食付きの値段だったのです。

3ドルから5ドルくらいまでの朝食のうち好きなメニューを選べと言われてとりあえずイングリッシュブレックファーストとブラックティーを。


午前中は銀行へ。

私のネパールの銀行の口座が、私がネパールにいなくなると凍結されてしまい、小切手をネパールに送っても換金できない事になっていましたので、銀行をかえる予定でした。

ちょうど満月の日で、BBは神様へのご挨拶をしてからでないと動けないので、一緒に神様の所へ。

しかし、他の銀行に付き合って貰うと、外国人の口座凍結は私の銀行だけではなく、法律で全ての銀行がそうなったことが分かりました。

それなら仕方ないと言うことで私の銀行に戻り、新しい小切手帳を作りました。その時書いた書類が右のこれです。
死んだ人の名前まで書くって....

まあ、郷にいれば郷に従えということで、素直に記入はしましたが。これっていい加減に書いても確かめる方法すらないですよね。今見ると母の名前の君子がキムコになってました。σ(^_^;)

ビザを取るときの書類では現住所は必須事項ではないというくらいアバウトに書けば通るのに...
まあお国柄お国柄、気にしない気にしない。




銀行に付き合って貰ったお礼にBBと2人で食事。欧米人がよく行く料理も紅茶も美味しい店でごちそうしました。







2019年3月25日月曜日

11校目の校舎

カダール村ジャンタ校の建築現場です。



Cさんのご寄附により、鉄筋屋根の2教室ができます。トタン屋根でも良いからたくさんの教室が欲しいと言う学校が多い中、私達の旧来のスタイルである鉄筋屋根の2階建て校舎の建設です。



鉄筋屋根校舎の最大の利点は、2階を作るのが容易だということです。基礎を作る必要もなく、鉄筋を延ばしておきさえすれば、少ないコンクリートで柱がすぐにできてしまいます。あとは壁と屋根ということで安価に教室を2倍にすることができるのです。

ジャンタ校は、山の上の学校です。

さびたトタン屋根が見えます。



生徒が増えたので校舎を増築したいけれど、土地が少なくなってきたということかもしれません。
既にプレートも出来上がっていますが、工事はまだ終わっていません。引き渡し式は、来年になりました。






柱の部分の鉄筋は屋根を越えて長く作られています。後から2階を作れるようにするためです。




















先生方が簡単なセレモニーをして下さいました。私はこの後、ネパール地震の震源地だったゴルカへ向かうため、途中で席を外させて貰いました。

生徒達がバイバイと手を振ってくれました。


ジョラ基金・ボーナス基金2019

ジョラ基金とは、授業料や学用品の購入が難しい家庭を支援する基金です。基金の産む利子で運営されます。
また、ボーナス基金とは生徒児童全員に1年に何回か文具やお小遣いを渡すための基金です。これも利子で運営されるもので、何を渡すかは各校の校長先生の判断で決まります。

これは、今までジョラ基金・ボーナス基金にご支援頂いた方々へ報告です。

現在ジョラ基金・ボーナス基金へのご支援は停止させて頂いておりますが、今までに何回もの支援を行っておりました。それらの基金は各学校で毎年利子を生み、そのお金で子ども達に授業料やノートやペンを送ってきました。今回はその分のご報告です。


右の写真はマクナ・デビ小学校の校長先生にジョラ基金をお渡ししている場面です。毎年、どの子の家に授業料援助をするかは、各校の校長先生にお任せしています。

最初は何人かの子供に限定して授業料を支援していたのですが、各校の校長先生方から支援方法を任せて欲しいと要望が出て、お任せすることにしました。
今では地域の現状に合わせて、また校長先生方の想いに添って支援がなされています。



今まで出席率の悪かった子供が出席率が良くなったら家庭への励ましのために授業料援助をしたり、その年大変良く努力した貧しい家庭の子に授業料を援助したりする校長先生もいます。

この学校の校長先生のように、少額を写真のような多くの子ども達の家庭に支援することもあります。

各校の校長先生の考え方で使っていただくのです。




 ナワドゥルガ小学校でのボーナス基金による文具支援の様子です。

日本では考えられませんが、ノートを手に取った瞬間に表情の乏しいネパールの子ども達の顔に笑顔がもれるのを何回も見て来ました。







D.ZEN JAPANが初めて先生のお給料基金を設けた、山の中腹の村ドリシェニの子ども達がボーナス基金で50ルピー札(約50円)を貰っている場面です。真ん中辺りで振り向いている女の子の笑顔につい眼がいってしまいます。本当に嬉しかったのでしょうね。

自分のお金を持ったことのない子がたくさんいます。
ネパールにはダサインという盆と正月が一緒に来たようなお祭りがあります。外国に出稼ぎに行っている男達も帰ってくるというそのお祭りの前にお金をらった子ども達は、きっと何に使おうかワクワクしながら考えたことでしょう。

今ではこんなにたくさんの校舎を持ち、こんなにたくさんの子ども達が学んでいるのかと思うと、感慨深い物があります。実はこのドリシェニ村は、D.ZEN JAPANが初めてのネパール支援で取水口を作った時に、ご寄附をくださった方々に報告をするために出かけた旅で寄った村でした。

私達が行ったときには、村の校舎は物置になっていました。先生を雇うお金が足りなくて給料がきちんと出せず、先生が来てくれなくなってしまったからでした。

私達が基金を設けて先生のお給料が出るようになった時、彼らが送ってくれた写真が右の写真です。今の写真では子ども達は制服を着ていますが、この時には制服はありませんでした。



学校がなくなってしまった間勉強ができなかった子ども達もこの時からまた勉強を始めました。
ボランティアとしてこの村にやってきて校舎作りを手伝ってくれた日本の学生さん達の想いの詰まった校舎が生き返った村でした。
 












バイオガストイレって分かりますか?2019

バイオガストイレって聞いたことありますか?
バイオマストイレっていうのもありますが、それとは別物です。

下の画像をクリックして大きくして読んでみて下さい。

バイオガストイレ支援を受
けて、20基をご自分の担当として報告を引き受けてくださった、ジーバンさんです。

右の写真はばじさんから小切手をうけとっているところです。今回支援を受けたいと希望している家庭にこのお金を渡して、工事を進めて下さいました。



こちらはバイオガストイレ支援を受けて、24基を担当して下さったレクトナート・シャルマさんです。