2019年3月26日火曜日

教育を受ける環境と障害者の雇用を産んだ学校





日の出と共に起きて東パルパの村へ。4輪駆動のジープに乗って出かけます。


途中、村の食堂で朝食を食べます。

運転手さんと3人でチャウミン(やきそば)を食べました。
ブラックティーを頼むと生姜が入った紅茶が出て来ました。なかなか美味しい。




途中、いくつも同じような建築途中の建物を見かけるのでバジさんに聞いてみると、地震から4年後にしてやっと政府の援助が入ったそうです。

被災家庭に約30万円の援助で政府の指示通りの二間の家でないといけないようです。多少の蓄えのある家庭は自分達で部屋の大きさを大きくすることはできるようで、大きさはマチマチです。


政府の援助だけで建てているだろう家は、かなり小さいですね。
地震対策ということで基礎をかなりしっかりやらなければならないようで、30万円でこの大きさ?と思ってしまいますが、それでも何も補助がないより良いと、村の人たちは政府に感謝していました。








私達の最初のネパール支援で修理したチース村の取水口も見えました。石を熱して水を掛けて手作業で村人達が岩を割って作ったものです。

川の下がる角度よりも少しだけ緩やかな人口の水路を3km引いて川面との落差を作り、そこから水田に水を流して行う稲作の水路に水を流すための取水口の修理でした。

同じ頃、尊敬する愛媛の池田先生のグループが作った通学用の橋も懐かしく見させて頂きました。





山の上の学校




この子達の学校ができました。
山の上にポツンととり残されたような30軒ほどの村に初めての校舎です。

先生を雇うお金がないので建築資金の一部を先生のお給料基金に回しました。だから校舎は小さくて外壁の上塗りもできていませんでした。それでも、利子だけで先生のお給料を出せるようにしたのです。






先生のお給料はたくさん出せないのだけれど、野良仕事ができない障害のある方に先生をやってもらうことにしたと建設責任者の大学出たての若者(左の写真の帽子の青年)が言いました。

村の人たちもその話の時にみんな笑顔でした。みんな優しいなあ。


左の写真で腕を組んでいる方が先生です。最初の集合写真にも写っていますが、背は子ども達より少し高いくらいで、足がお悪いようでした。




大工さんの支払いを少なくするために30軒の家で随分労働奉仕をしたようで、壁が少し波打ったりしていました。格好は良くないかもしれないけれど、村人達の想いが形になったような校舎です。


大学を出てから村に戻る若者はほとんどいません。
彼の自分の村に対する想いに頭が下がると同時に、彼の村に対する夢が叶うことを心から祈りました。


テープカットをさせて頂きました。

責任者の青年や先生のお人柄でしょうか。この場面で私の後ろに子ども達がいたことは初めてです。いつもは大人がいるのです。






     
ぽつんと取り残された様な村に教育を受ける環境が整いました。この村の発展を願う建設責任者の青年の想いを継ぐ子供たちが育ってくれることを祈ります。

とても心に残る引き渡し式になりました。














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